"そして、このゴチャゴチャ感、きわめて日本的、そしてアジア的とも言える。日本人は日本人としてローカライズされたディズニー世界を楽しむ。そして、それが日本発信の「ディズニー文化」ということになる。そんなふうになるのではないかと僕は予想している"
という言葉で締めくくられるこの記事。
私は別の意味で納得してしまいました。
「そうか、今のディズニーリゾートが好きになれないのはこれか!」と。
「そうか、今のディズニーリゾートが好きになれないのはこれか!」と。
昔もディズニーファンというのは一定数いましたが、私のいた田舎ではあまり多いとは言えない感じでした。
「近くの遊園地でもいいんじゃない?」子供の頃、ディズニーランド(当時、シーはなかったので)が好きだと言うと大人、子供に限らずよく言われた言葉です。
「全然違いますよ」と答えても、あまり伝わっていなかったと思います。
私の周りの多くの人は、ディズニーランドはお金がかかる割には待ち時間が長く、子供を遊ばせている間お酒を飲んで待つことが出来ない「旨味のない遊園地」だったのです。(価値観が違うだけで、別に間違ってはいないのですが。(笑))
一方で、私がディズニー(ランド)にのめり込んだ理由は「シンデレラ城」でした。
他の女の子がそうであるように、私もお姫様を描くのが好きでした。金の巻髪にティアラを付けて、パフスリーブで、丈の長い膨らんだスカートのドレスを着るお姫様です。
少し絵は得意な方で、自分でそうだと思っていました。
が、一つだけ納得出来なかったのが「お城」。
どうしても3つの尖った塔しか想像できなかった。
どんなに頭をひねっても出てこなかったのです。
それが、ディズニーランドへ行ったら。
自分が想像すらできなかったことを、想像どころか実際に作っている人がいる!
子供心に、衝撃でした。
そこからは、今ほどインターネットの普及している時ではなかったので、人から聞いたこと、本で読む情報を頼りに知識を増やしました。
今の方は意外に思われるかもしれませんが、ディズニーが普通のバラエティー番組に出るようになったのは早く見積もってもクラブディズニーをやった2000年前後。
それまでは、ディズニーの特集をやるテレビプログラムは年に1回くらいでした。(有料チャンネルを除く)
そこで、ディズニーランドの建物は映画のセット技術を用いて、経年劣化したように施していること、建物を実際に高く見せるために2階部分を少し小さい縮尺で作っていること。
入口を一つにし、ワールドバザールのオールウェザーカバーからシンデレラ城が見えるようにし、高揚感を得られるように少し坂を登っていくように設計していること。
何もかもが驚きで、新鮮でした。
それは「無駄な知識」でしたが、私の人生を楽しくしてくれるものの一つであったことは違いありません。
大人になって、旅行で行った日光東照宮で閃きました。
ディズニーランドと同じだ!と。
あそこは外界のものの侵入を受け入れず、提供する世界観だけを享受するようにされた、正しく「宗教施設」と同じだったのです。
だから、好きだったのです。
いや、夢中になったのです。
いや、夢中になったのです。
勿論、私のようにディズニーが好きな人が全てでも、正解だとも思っていません。
でも、こうゆう欲求を満たしてくれるところは多くない。
やすやすと、変わってしまうのを指をくわえて見ているのは何とも歯痒いです。
ああ、ディズニーの話題はダメね。
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